Diary

関係性のマルチバース 写真家・中野泰輔インタビュー


ひどく変形した写真に目を奪われた。写真の表面には水滴のようなものが浮かび、ところどころ曖昧な色味の光を放っている。

写真家・中野泰輔は、身近な人物をセットアップで撮影してきた。作品ごとに大きく変化するイメージメイキングの妙にまず目を奪われるが、その裏には「関係性」というテーマが、初期からいままで貫いているという。写真を撮ることで彼は、他者との繋がりやその存在について想像し続けることをやめない。どこまでいってもわかりあえない人と人との関係性の「わからなさ」や、その曖昧で豊かな「マルチバース(多元宇宙)」なありようを写真に収めようとしているのだ。

最新作「Hyper ≠ Linking with…」は、どこかインターネットを想起させるタイトルだ。SNSの浸透はすでに社会制度を揺るがすほどに深く、国家から思想、人種までさまざまな分断を生みつつあるが、そうした中で身近な人々との関係性もまた同様に変化しはじめているのではないだろうか。カオスな状況へと進み続ける現在、いかに他者との繋がりを見つけるのか、という命題はいま切実なものとなっている。今回のインタビューでは、作品を通して、関係性を感知するための「欲望」を見つめること、他者をカテゴライズし断定しないこと、そして、「わからなさ」を受け入れ、小さな「通路」を見出すことについて話した。



Hyper ≠ Linking with…(2018)以下作品すべて同様


写真の中で取りこぼされているもの

—「関係性」がテーマとのことですが、いつ頃からこのテーマで撮りはじめたのでしょうか?

学生の時から今までずっと続いています。

—過去の作品を見ていると、お母さんなのかな? と思う女性がたびたび出てきていました。近しい関係性の人を撮ることが多いのでしょうか。

そうですね。なので、家族写真が多いかもしれません。お父さん、お母さん、妹……結構狭い範囲で撮ってますね(笑)。もともと自分の好きな写真家たちの根本には、家族的なものへの考え方が共通しています。逆にピンとこない写真は「家族の絆は素晴らしい」とか。そうか? と思ってしまって。

—ハッピーでポジティブな写真はピンとこない?

はい。それを撮ることは、写真家の仕事なのか? 取りこぼしが結構ありそうだぞ、という気がして。何がリアルかと考えた時、お葬式でみんなが泣いているっていうのはリアルじゃないなと。

—そのリアルな感覚についてもうすこし詳しく聞かせてください。

葬式で久しぶりに親戚が集まって笑いが絶えないっていうのはリアルな感じ。あとは、幸せそうに見える夫婦が実はセックスレスで夜の生活がうまくいっていないとか。犯罪もそうなんですが、結果的には痴情のもつれで殺しましたという話にも、その間には何か別の経緯とか感情があるはずで。でも、わかりやすいものがみんな好きなんですよね。「家族の強い絆って素晴らしい」みたいなものってあまりにもぐるぐる回るものがない。そういうものはあまり見たくないんです。

—わかりやすくカテゴライズされてしまいがちな家族像や夫婦像では捉えきれないものがあると。そういった取りこぼしの中に、中野さんは何を見出そうとしているんですか?

欲望ですね。

—欲望っていろんな多義的な意味が含まれていますよね。

「欲望」という言葉は、精神科医の斎藤環の影響が大きいかもしれません。桐野夏生の『リアルワールド』という本があるのですが、その解説で斎藤環は「人間関係の本質とは相手の欲望を想像すること」だと言っていて。相手のことってその人自身にならないと結局はわからないじゃないですか。

—そうですね。

だから、想像するしかないんだと言っていて。想像することが、その人たちの関係性に発展していくという。それを読んだときに、膝を打ったんです。これだ! みたいな。たしかにそれをやりたかったし、いままでやってきた。

—関係性を紐解いていくと、その根底には欲望がある。先ほど取りこぼしがあると言っていたのはそういう掘り下げが写真から抜け落ちているということですか?

そうです。セックスへの欲望でもいいし、子どもへの欲望でもいいし。物欲でもなんでも。ただ、その欲にはいくら自分と関係のある人たちに影響を受けても完全に同調することはできなくて、だからこそそこを掘り下げたいと思ったんです。









子どもと変化していくイメージ

—「Hyper ≠ Linking with…」ではどんな欲望を扱っているんですか?

作品のきっかけとなった出来事から話すと、大学4年の時にいろんな人の家に転がり込んで放浪していて、たまたま出会った人がいい感じだったので付き合ったんです。それから一緒に住みはじめたのですが、そのタイミングで母親に自分のセクシュアリティをカミングアウトすることになって。

—カミングアウトしたんですね。

「自分はゲイで、良い人と付き合えそうだから一緒に住むわ」と伝えて。カミングアウトのために必死だったということもなく、いろいろと説明するのが面倒くさかったから言ったという感じなのですが、意外に母親も「あ、そう」くらいの反応で。そのかわり、母親的には子どもが欲しいと。遺伝子が残っていくことを望んでいるらしかったのですが、そもそも俺は子どもが嫌いなので、子どもが欲しいという感覚がわからなくて。

—子どもを産む、産まないなんて想像だにしないですよね。

はい。さらに、恋人も将来的に子どもは欲しいと思っていたらしくて。それまで身近にいる人の欲望ってたかが知れていると思っていたんです。自分と同じくらいの感覚で生きているから近くにいるんだろうって。でも、自分とは全然違っていた。自分の生きている世界とは別の世界線があるとわかって、ちょっとショックを受けました。

—子どもが欲しいという欲望が見えてきた。

言ってしまえば、子どもってある意味、欲望の結果じゃないですか。子どもという異物が入り込んできたとき「これは撮るべきか?」という気がして。




—だから、赤ちゃんや子どもの写真がいくつもあるんですね。この作品はかなり加工がされていますが、それはなぜ?

エレメントの話になるのですが、水が大事かなと思ってしまって。透明の層があるようなイメージです。現実の人間関係の圧倒的な距離感の間を隔てる壁は、わかりやすいコンクリートの塀みたいなものではないから、それは撮れないし、何で表せるかと考えたときに、家にたまたま寒天があってそれだったらできるかもと。もちろんイコールで距離感を表現しているということにはならないんですけど。

—じゃあこの写真の上に載っているように見えるものは、水滴ではないんですね。

泡なんですよ。でも、上に載ってるにしてもちょっと変だなみたいなという感じで。寒天を固めるために何時間か放置する必要があるのですが、そうすると勝手にイメージが変化して別のものになっていくのが面白いし、強い写真になる気がしました。








欲望が見せる多元宇宙

—ステートメントで気になったのは「パラレルワールド」という言葉でした。

ある人の言葉、ある人との関係性が、思ってたものをバラバラに壊して、違う所に私を飛ばしてしまった。ここどこって感じ。もしかしたらパラレルワールドかも。
「Hyper ≠ Linking with…」ステートメント文より


これは、いままでの話やイメージづくりとどう関わってきますか? 「子どもが欲しい」という欲望が、自分の想像しているものとはまったく違ったという感覚を「別の世界を見た」と捉えているのは面白いと思いました。

人は単一の宇宙ではなく、複数の宇宙ーーマルチバースで生きていると思っていて。みんなそうだと思うんです。母親も恋人も、俺に見せる側面はあらかじめ用意されているもので、そこに本質はなく、パラレルな世界があるだけだと思います。たまたま「子どもが欲しい」という側面が出ていなかっただけで、いろんな出力の方法がある。ちょっとバグが起きたかなんかで、ふと見せてしまった瞬間があって、そうすると別の世界に生きている彼氏や母親と出会うことになりますよね。それが関係性だと思っています。

—人にはいろんな側面があるというのはたしかにそうですね。普通に生きていると、単一の宇宙の中に生きていると思いがちで、気づくきっかけはあまりないかもしれない。

なかなかないですよね。だから、欲望はマルチバースな関係性を感知するきっかけになるんじゃないかなと。男の人がよくポルノ関連の事件を起こしてしまう時とか、女の人がスピリチュアルにハマっちゃう時とかに出てくるような欲望とか。

—ニュースで語られるストーリーは「良い子として知られていたあの子が、本当の正体は犯罪を犯すような人でした」みたいなものがテンプレートとしてあると思います。その人の本質をわかりやすいストーリーで定義したがっているような。

人はそういう表裏の二者択一的なものでもないと思うし、数百人分の人格がひとつの貧弱な身体に束ねられてるだけなのに、それを無視してジキルとハイドみたいにしてしまうのは息苦しい。






—わかりやすくカテゴライズした瞬間にそういったことが見えなくなってくる気がします。中野さんの写真はマルチバースであるということを気づくきっかけのひとつになる?

どうでしょうね。そこまで見てもらっているのかどうか。

—「取りこぼし」の話もそうですが、明確にカテゴライズできないものを中野さんは撮ろうとしていますよね。言い換えれば、多様な関係性のあり方を写真に収めようとしている気がします。ただ、その分、わかりづらさが出てくる部分はあるのかもしれません。

そもそもわかりやすい写真や言葉はもうみんな見飽きたんじゃないかと思うんです。そういうことって、カメラも教養もみんなあるから、普通にできてしまうと思うし。

—「わかりやすさ」が、あたかも正義かのようになっている部分はあります。

それに、自分はそういうものを撮るのには向いてない気もしていて。よく言われたんです。作品のバックグラウンドを聞いて「子どもだけを撮ればよかったんじゃない?」とか「恋人だけを撮ればよかったんじゃない?」と。でも、それはちょっと違うかなって。他者の欲望というよくわからないものを撮ったからこそ、あえて限定してしまうと、そこにある関係性を想像する余地がなくなるし、イメージが小さくまとまってしまう。なにより、他者のことをわかり切っていることになってしまう気がして。



—他者の欲望のわからなさは、どこまでいってもわからないままのはずですよね。そういう曖昧な状況そのものを写真に写すことで、他者との距離感や関係性を絶えず想像することができるようになるのかもしれません。

完全に他者に同期することはできないけど、撮ることで近づくことはできるのかなと思っています。写真を撮るうえで、わかりやすくカテゴライズするという大義名分を掲げてやるのも、もちろんいいと思うのですが、そういう時代でもないかなと思っていて。意外なところで細い通路みたいなのがあって、それが繋がっていく方が楽しい。

—さまざまな関係性が存在する中で、写真はそれらを繋ぐ媒介になる。

写真はその中でアメーバみたいな存在なんです。関係性を拡張させていくみたいな。例えば、今回の作品で撮影した子どもたちは、自分と恋人との生活とは無縁だったかもしれないけど、写真世界では繋がっている。それが面白いなって。高速道路みたいな繋がりをつくる人もいると思うんですけど、ぎりぎり通れる通路みたいなものを写真で作りたいと思っています。


EXHIBITION
第18回写真「1_WALL」グランプリ受賞者個展 中野泰輔展
会期:2019年1月29日(火)- 2月15日(金) (予定)
会場:ガーディアン・ガーデン


PLOFILE
中野 泰輔(Taisuke Nakano)
1994年生/武蔵野美術大学映像学科卒業
https://www.taisukenakano.com/


STAFF
Writer: 酒井 瑛作(Eisaku Sakai)