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“しょーもない”自叙伝 写真家・髙木美佑インタビュー

”自撮り”することで自分をドキュメントし続ける写真家・高木美佑。彼女は20歳を迎えるまでの10代最後の100日間を記録した『しょーもない私の十代が終わりました。』で2012年度写真新世紀にて佳作に選ばれた若き写真家だ。しかし、自らを撮るという行為はSNS時代において昔ほど特別なものではなくなってしまった。そんななか、なぜ彼女は自分自身を撮り続けるのだろうか?



自分を撮り続ける理由

2017年現在、さすがにセルフィー棒を使って自撮りをする人はめっきり減ったが、依然としてカルチャーのポップアイコンやモデル、アーティストたちは自らの生活を自撮りとともにSNS上で発信し続けている。そしてそれを見るフォロワーにとっても、自分を撮ることはなんら不自然なことではない。そうした自撮りの背景にあるのは、自己顕示欲や自己承認欲といったインターネットにつながっているからこそ、刺激される欲望の渦だ。しかし、写真家・高木美佑はそうした欲求とは少し異なる理由で自らを撮影しているように見える。




1991年兵庫に生まれ、幼少期は転勤族だったという高木美佑。「なぜか小さい頃は、教科書とか辞書に自分が載るんだと思ってました」と笑いながら幼少期に抱いていた夢を振り返る。しかしある時、誰しもがそうであるように、自分は特別な存在ではないということに気づいたという彼女は「何かを残さなくちゃと思った」。そんな「しょーもない私」の発見から、作品として自分自身の撮影をはじめることになる。











「写真で思い出に残しておきたいと思ったんです。自分が写っていればそれでいいというわけではなくて、作品としてまとめる時は、『写る必要がある』と思った場合に自分を撮ってるんです」彼女は自分を撮影する理由をそう話す。「20代を迎えるのが嫌だった」という彼女が10代の自分を記録したように、そのとき置かれた境遇や人生の節目といった背景があるからこそ、彼女にとっての”自撮り”は成立するのだ。

写真を見ているのか、人生を覗いているのか

彼女の写真は、ときに痛々しいほどに自らをさらけ出し、生活が行われていたことを包み隠さない。なぜそこまでパーソナルな姿を写すのだろうか?「自分自身以外のもの、たとえば、政治や戦争といったようなことを撮らないのは、自分がその当事者ではないからという感覚があります」と彼女はいう。「不運な境遇に生まれたわけではないし、当事者ではない自分が声をあげたところでどうなるんだろうと思う部分があるんです。私が撮ったところでなんのメッセージ性も生まれない。今は、自分を含めたいまを撮ることで精一杯です」



“当事者”とは、現場で直に体験し、対象と直接的な関係を結ぶ人のことだ。背後には洗濯物が見え、本人は顔パックしているような超パーソナルな一連の作品から察するに、彼女が当事者としてダイレクトにつながりを感じることのできた対象とは、自分自身だったということになりそうだ。”私”が撮ることでメッセージ性が生まれるものこそ、他でもない自分だった。そして、それと同時にあることに気づく。写真を見る側のわれわれもまた、彼女の生活の”当事者”になってはいないだろうか?







一連の写真を見ていると、写真を見ているのか、それとも、高木美佑という一人の人間を見ているのか、わからなくなる。そうした写真と見る側の関係性を彼女はこう語る。「自分のなかで真実だと思っているのは、人柄とか内面よりも、”行為が行われた”という事実。だから、写真に写っているもの自体は、真実だとは思ってないんです。私の写真を見てもらってから実際に会うと『怖そうな人だと思ってた』と言われたときも、現実とは違うんだと思ったし。現実と写真は別物になってるんです」

“教科書では語られない“パーソナルな歴史

彼女が作品を作る動機となっている”思い出”とは、写真には写らなかった事実だ。写真に写っているものはその結果でしかない。もしかすると、見る側にとっては彼女が経験している”思い出”を知ることはできないかもしれない。「自信がないから、自分のことを全部知ってもらうのは怖いし、写真くらいの曖昧さがあれば、どう感じてもらってもいいと思える」と彼女はいう。写真からなにを読み取るかは見る側に委ねられているからこそ、写真に写った高木美佑と対峙したとき、そこで過ごした時間が、写真を見る人にとっての”思い出”となるのだ。



彼女はおもむろに一冊の”歴史の教科書”を取り出した。「偉人や歴史的な場面の写真部分に、自分の写真を貼ってるんです」という。しかも、1ページや2ページだけではなく、全ページにわたって彼女の写真が貼り付けられていて、写真の枚数は膨大だ。でもなぜ教科書?「いつか教科書に載れると思っていたけど、実際はそうならなかったから」そうだった。小さい頃の夢は、”教科書に載ること”だった。







100%自分で構成された”歴史の教科書”は、個人の人生をまるごと物語る”自叙伝”となった。膨大な写真は、彼女の人生の一部であり、一枚一枚の写真のその裏側には、それよりももっと膨大な”思い出”が存在する。彼女がいままで過ごした時間と、そして、これから過ぎていくであろう時間。それは、紛れもなく高木美佑という一人の人間の人生であり、たとえそれが「しょーもない私」のものだとしても、こうして記録し、積み重ねていくことで、見知らぬ誰かを彼女の人生の”当事者”の一人に変えていってしまうのだ。


PROFILE
高木美佑(Miyu Takaki)
1991年生まれ、東京在住。写真と自分を中心に、作品制作を行う。
www.takakimiyu.com


STAFF
Writer: 酒井 瑛作(Eisaku Sacai)
Editor: 廣田 利佳(Licaxxx)