分かる気もするけど、分からない事 環ROY インタビュー
アーティスト・環ROY。ラッパーという肩書きを持ちながら彼の活動は多岐にわたる。自身のアーティスト性を前面に出すソロ活動はもちろん、ダンサーと共に行うアートパフォーマンスや、アートギャラリーなどで発表するインスタレーション作品、色々なアーティストとコラボレーションした広告音楽の制作。 そんな音楽と、その周辺にはみ出す制作活動についてインタビューを行った。(聞き手:Licaxxx)
ーー 美術館やアート展示などはよく見に行くのですか? 興味を持ったきっかけは何ですか?
環ROY:数年前から蓮沼執太くんという音楽家が組織した14~15名のバンド『蓮沼執太フィル』へラッパーとして参加していて、ライブハウス以外の場で公演することが何度もありました。その過程で、その場所に置いてあるものや空間そのもの、建築などへ興味が湧いてきて、調べたり学んだりしているうちに今に至っています。
ーー ダンサー・島地保武(しまじやすたけ)さんと共に創作しているダンスとラップのパフォーマンス『 ありか(2016)』が先日再演されたばかりですが、どんな時に「この人とやりたい!」や「こんな事をやりたい!」と思ったのですか?
環ROY:島地さんのダンス作品の音楽を、蓮沼くんがやっていた繋がりで、公演を観に行ったんです。その時の打ち上げで知り合いました。10年弱ドイツにいた島地さんが日本に戻ってくるタイミングが一昨年で、ダンス作品なんだけどダンス作品ではないものを日本で作ってみたい、ということで誘ってくれました。
ーー 自分だけの音楽を作る時と、それ以外の制作をするとき、もちろん手法は変わってくると思うのですが、伝える人のことなど、作った先の相手に対する気持ち的に何か違いがありますか?
環ROY:毎回なにかの想定があるけどいつも違いますね、覚えてないけど、解釈については望んでいないです。願いはありますがあまり期待していません。忘れていくし変化していくものだと思います。
ーー お客さんがどういう反応をしてたかなどは見ますか?
環ROY:毎回見ますよ、こっちの気分もありますし。解釈はタイミングだし流動的なものだと思っています。
ーー 環さんのライブでの動きを見ていても、身体から出てくるものとしてコンテンポラリーやダンスパフォーマンスと即興でラップをする、というのは似たような印象を受けます。そのあたりの関係は実際にやってみてどのように感じますか?
環ROY:まず、コンテンポラリーダンスと呼ばれるものの定義が多様なので一概に言えないんですが、島地さんは身体と思考を連結させていくタイプの人です。島地さんはダンスとラップの即興において、思考やイメージ、言葉の使い方が似ていると考えているみたいで、近しい部分があると思ったから、僕とやってみることにしたそうです。
ーー 環さん自身はどうでしょうか?
環ROY:近いとも近くないとも言えますね。鳥と飛行機は近いと言えば近いし、遠いといえば遠い。形状は近いけど、タンパク質と金属ですから。要は解釈の仕方なんですよね。気が合うから楽しいです。いい感じです。
ーー 環さんのライブでの動きを見てても、動き方がナチュラルな印象を受けます。
環ROY:それは島地さんとの取り組みの影響があるのかも知れないですね。
ーー 寺田倉庫で行われていたアートフェスティバル『TodaysArt.JP TOKYO 2015』で出展していたインスタレーション作品に『Types』がありました。見られてる感覚はすごくありますか?
環ROY:当然なんですけど、最初はすごく違和感がありました。そして徐々になくなっていく。けど、やっぱり物音がして、気配を感じる。半分パブリックで、半分がプライベートというか、その線引きが曖昧な状況でした。僕らがそういった体験をしている様子を鑑賞してもらうという感じです。非常にパブリックな空間のはずなのに、僕たちはプライベートな会話になっていく装置だったんです。
ーー 『 ラッパーのための三つのプラクティス』について、あのルールはどのように決めたのですか?
環ROY:チャンス・オペレーション(ジョン・ケージが1950年代初頭に考案し、実験音楽家らによって活用された、偶然を利用してスコアを作成する手法)みたいなものだと思います。例えばライブハウスでパフォーマンスをおこなうとなると、鑑賞者はある程度様式を想定して来場することが多いと思うんです。でも、そういう場所じゃないところ、劇場やギャラリー、多目的な施設などでのパフォーマンスは「何をやるのだろう?」というところから始められると思います。そういった機会で、ラップや、ライミング、即興的に詞を作る、などの行為をするとき、より自由度が高く、本質的なところにある表現へ取り組むためのシステムというか、コンセプトがあるといいなと思って制作しました。小さな音でも行えるということも考えます。
ーー そのコンセプトを公開されているのには意味はありますか? やろうと思えば同じ体験ができる、ということになっていますよね。
環ROY:やろうと思えば同じ体験ができて面白いと思います。いまのところ実行する人はいなさそうですが(笑)。ラッパーという肩書きで活動している人の領域なり観念みたいなものを、狭いですがこっそり広げてみるみたいな取り組みです。
ーー この先やってみたい領域はありますか?
環ROY:音楽は時間芸術と言われます。絵画や彫刻は空間芸術と言われています。それを踏まえて音楽を用いながら空間的な表現を考えていきたいと思っています。映画や音楽は時間が決まっていて、その流れ方を楽しむけど、絵画は1秒でも1,000日でも自由に楽しめる。その狭間みたいなことを考えるのが楽しいです。時間とか空間とかって観念自体が西洋的な眼差しではあるので、注意しながらって感じです。
ーー それは音楽には限らないということですよね?
環ROY:音楽をどこまで音楽とするかですよね。演奏するまでに何十年とかかる作品があってまだ演奏が終わっていない、とか。風でササーって言ってる木の音や川の音が音楽なのか、どうなのか、とか。鳥小屋を指して楽器といったり曲と言ってみたりできるのか、とか。
ーー 個人の中で音楽として捉えられるのって過去の経験に基づいて判断されると思います。自分が「ここからここまでが音楽だよ」と示した時に全くそれが分からない人たちに対してはどういう気持ちで向き合っていますか?
環ROY:仕方ないですよね。僕たちは分からないものに出会うと「ブー(Boo)」ってしがちじゃないですか。でも意味不明と「ブー」がセットというのは少し寂しい。「意味不明、、、すごい!」みたいな、こんなDNAとか解析できたり、火星いったりとか出来るのに、身近なところに意味不明があった!「グー(Good)」みたいな解釈もアリじゃないかなと思います。
ーー 未来の東京について、音楽やアートなど、クリエイティブな環境について、どうなっていて欲しいですか?
環ROY:どうなってほしいとかは特にないけど。パッと1秒見て「超良い、最高!」って思ってパッと5秒で飽きちゃうものもあれば、10分ぐらい見てて「あーなんかすごい好きかも。」って10時間くらいなってたり、1時間みて1年間こころに残ったり、もっと言えば100年間みんなで見てて1000年くらい語り継いでいくものもあると思うんです。そういう多様な時間軸がいいバランスでいろいろなところに点在しているといいなと思います。
ーー あなたを刺激するものは何ですか?
環ROY:分からないもの。なにそれ、なんだそれ〜みたいな。分からないこと。分かるような、わからないような、ぐらいが丁度いいですよね。分かる気もするけどちょっと分からない、ぐらいが手に取りやすいですよね。
<STAFF>
Photo: 草野 庸子(Yoko Kusano)
Writer、Editor: 廣田 利佳(Licaxxx)
環ROY
http://www.tamakiroy.com